第6回

講義資料http://akaokoichi.jp/pdf/commedia6.pdf
日本の“流行歌”の誕生をどの時点でとらえるか――。(1)松井須磨子『カチューシャの唄』,(2)佐藤千夜子『東京行進曲』,(3)小唄勝太郎『島の娘』の三つに“学説”は分かれている。それぞれ支持する理由はもっともである。「ソフトの力の証明」という点では(1)。昭和初頭の大衆文化の煌めきという点では(2)。「音楽学校卒業生以外の“歌い手”」という点では(3)。「流行歌の是否論」(あるいは俗悪説・排斥論)が高まったという点で,(2)と(3)は甲乙つけがたい。ただし,(2)への批判は,その歌詞に集中していたのに対し,(3)は歌手の存在そのものへの難癖が多い。そして“芸者上がり”が流行歌手を務めていることへの,頭カチンコチン連中からの非難はすさまじく,それが“流行歌による善導思想=国民歌謡運動”につながっていく。芸者,ボードビリアン(軽演劇役者)たちが“愚にもつかない俗曲”を歌い続けることができる社会が――めちゃくちゃ陳腐な結論で恐縮だが――“平和な時代”なのだとつくづく思わされる。その意味では,500枚以上もレコーディングし,日本に“ジャズ”(という名の軽音楽)を定着させた(4)二村定一説も説得力がある。

参考動画集(動画は削除されている場合あり)

森繁久彌『船頭小唄』http://jp.youtube.com/watch?v=e15zCuA-7as
市丸『ちゃっきり節』http://jp.youtube.com/watch?v=pG8CEiNwRBM
田谷力三『恋はやさし』http://jp.youtube.com/watch?v=f6vsoEMLAKU
田端義夫波浮の港http://jp.youtube.com/watch?v=wImmNEj4fB8
映画『東京行進曲』(1)http://jp.youtube.com/watch?v=ZACW3Jcua6A (2)(3)もあり
羽衣歌子『女給の唄』http://jp.youtube.com/watch?v=n9dCiaPNSPA
藤山一郎『酒は涙か溜息か』http://jp.youtube.com/watch?v=IKM6ADnac5A
藤山一郎丘を越えてhttp://jp.youtube.com/watch?v=ej4nwOFk2Z8
小唄勝太郎『島の娘』http://jp.youtube.com/watch?v=OqmLTrQ3Hm0
小唄勝太郎『明日はお立ちか』http://jp.youtube.com/watch?v=ncwihT_DXUw
美ち奴『あゝそれなのに』http://jp.youtube.com/watch?v=AC6LihSoo60
二村定一『うぶな二人のやうに』http://jp.youtube.com/watch?v=3F8uxAKLv4M
フランク永井君恋しhttp://jp.youtube.com/watch?v=ZHVxNli-igE
東海林太郎『赤城の子守唄』http://jp.youtube.com/watch?v=3zQbrimrQKI

こうした動画の“元ネタ”になっているように,1970年前後のテレビは“懐メロ番組”が花盛りだった。おかげで,戦前・戦中・戦後の流行歌全般に詳しくなっていた。父母がその種の番組を好んで視ていた影響もある。ここで歌っている人たちのほとんどは鬼籍に入っているが,最近は「古賀メロディー」「服部良一特集」などの形でしか“懐メロ”が紹介されない傾向にある。それは“流行歌文化の伝承”という点で,残念な話である。

小唄勝太郎が鬼籍に入ったのは1974年。“懐メロ番組”で元気に歌われ,客席から掛け声までかかっていた姿が印象に残っている。老いてなお“親衛隊”がいたのだ! (その点は2006年に没した元祖“ブリっ子”の松山恵子にも通じる)。赤尾が小唄勝太郎説を推すのも,そうした体験が元になっているのだろう。

松山恵子『十九の浮草』http://jp.youtube.com/watch?v=5r1VKNqaCmY
松山恵子『お別れ公衆電話』http://jp.youtube.com/watch?v=LxhkQmWOUUQ
松山恵子『未練の波止場』(紅白)http://jp.youtube.com/watch?v=xdCcxCKmh8Q
松山恵子『だから云ったじゃないの』http://jp.youtube.com/watch?v=qP8C6t9bt_E
改めて視ると,松山恵子の衣裳を含むステージングは,その後の“アイドル歌謡”に大きな影響を与えたことを痛感する。松山恵子も“流行歌正史”では,無視されがちな“偉人”である。