第6回

ここでは世界史的視点を。19世紀末からユーラシア大陸では,イギリスとロシアがグレート・ゲームと呼ばれる冷戦を展開していた。ロシアは不凍港を求めて南下を進め,イギリスはインドを中心とした「大英帝國通商路」を防衛する必要があった。日清・日露戦争も極東におけるグレート・ゲームだったと言える。日英同盟(1902年)も成立したわけだし。トルコにもロシアの脅威が迫っていたので,日露戦争の「勝利」がトルコに大きな希望を与えたわけだ。
ついでに言えば,チベットグレート・ゲームの舞台になった(1904年:グルの会戦)。チベットは清国の属国だったが,清の衰退で半ば独立国となろうとしたところに(背後にはロシアの外交工作があった),イギリス・インド軍が侵攻し,その後チベットはイギリス・清が共同で保護下におくことになる。

徳富蘇峰について
米原謙による評伝は,明治から昭和への蘇峰の歩みを正当に評価している。蘇峰は今の渡邉恒雄讀賣新聞主筆と同根の人間である。言論を言論として完結させるのではなく,言論の力を背景に政治を動かそうと試みた。原理主義者ではなく,便宜主義者(オポチュニスト)と呼ばれる所以だ。思想的側面から見ると,蘇峰の持論だった「亜細亜モンロー主義」が昭和軍部の「大東亞共栄圏構想」につながったといわれるが,蘇峰の狙いは欧米列強の影響力をアジアから排し,アジアの民族がそれぞれ自主自立を守っていく一つの理想主義だった。いち早く近代化した日本が当面は指導的立場に立つが,いずれは独立を果たし,連合体としてのアジアを構想するという考えは,ASEANからAUを志向する現在の流れからしても,先見的だったと言える。
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■まむしの周六(黒岩涙香)
日本の新聞人で最も「物語性」に富んでいるのは(そして本人も「物語作家」だったのは)黒岩涙香(「萬朝報」の社主)である。三好徹の評伝小説『まむしの周六―萬朝報物語』は絶版状態だが,涙香の人物像を最初に知るのに最適。
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「日本の新聞は昭和の大戦期になって変質した」というわけではない。政府や軍部との関係という点では,「中新聞」として産業基盤を確立した時点から,政府に屈し,世論に迎合し,「富国強兵」を煽る権力装置となっていたのである。

個人的に,海軍の軍歌が好きである。アニソンの雛形だからだろうか(笑)。ただ,海軍司令官として,部下を思うあまりに,自らも殉職してしまう(旅順港撤退作戦の戦没者は二人のみ)というのは,如何なものかと思うこともある。
なお,「日比谷焼き打ち事件」を「空前絶後の民衆暴動」と評した。1960年の「日米安全保障条約延長」をめぐる国会議事堂付近の争乱(死亡者1名)も戦後の例として挙げられる。ただし,「安保闘争」はさまざまな政党・団体によって組織動員された闘争であり,新聞や檄文などで煽動された「無組織」の人々が異議申立てのために集い,暴徒と化したという点で「日比谷焼き打ち事件」は歴史に画する出来事だと思う。