第8回

redtail27332007-12-07

講義資料:http://akaokoichi.jp/pdf/contents2007-08.pdf
巫女装束で舞台に立った歌い手がかつていました。畠山みどりです。1962(昭和37)年のヒット曲,『恋は神代の昔から』(http://jp.youtube.com/watch?v=1kx6pFL-zd8:YouTubeでは巫女装束ではないのが残念です)。アイドル=巫女論を,これほど強烈に印象づけた歌い手はいないでしょう。巫女さん萌え〜の風潮の中で,畠山みどり復権はないのでしょうか(ナイナイ)。

ファイナル・カーニバルはDVDで。ただし,ダイジェスト。「完全版」が商品化されないのが謎。

CANDIES FOREVER [DVD]

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最後のMChttp://jp.youtube.com/watch?v=M5peq5OZfdIで「ファンがキャンディーズを最高のものに育てた」という趣旨の言葉が出てきます。儀礼的言辞の部分があるとはいえ,「ファンに支えられ,育てられた」というのが彼女たちの実感でしょう。そして,その幕を,純真なまま(by美樹ちゃん)閉じることができたというところに,アイドルを巡る物語の(清らかなる)完結の姿があります。
その言葉が嘘ではなく,キャンディーズは三人揃った形での“復活”を封印しています。ファンもそれを望んでいません。対比できるのはピンク・レディーです。人気が急降下した時点で“解散”した結果,グダグダな形で何度も“再結成”してしまっています。彼女たちが芸能活動を続ける中で,ついに“ピンク・レディーを超えるもの”を見つけ出せなかった証でもあります。
ちなみに,当時の大学生男子で“ピンク・レディー派”は少数でした。赤尾の周りでは,静岡市出身の男ぐらい。『ペッパー警部』は振り付けも含めて,オジサン層がターゲットだったと思いますが,小学生にウケてしまいました。ただし,テレビで歌番組を見続けている限り,好むと好まざるとにかかわらず,ピンク・レディー旋風の渦中に巻き込まれます。それがテレビ発の“歌謡曲”のすさまじさです。タイムオーバーで触れられなかった最後の二枚のスライドについて,補論しておきます。
全キャン連が「全学連」や「全共闘」など学生運動のパロディである*1のと同様に,“その後”の推移も似通っています。大多数のメンバーにとって,キャンディーズは青春時代の通過儀礼の一つでした。「自分にとってアイドルはキャンディーズだけ」という“純愛主義者”も多いのです*2。そうでなくても,社会人になれば,アイドルからも“卒業”です。
しかし,全キャン連当時から,「キャンディーズ以外のアイドルもおっかける」という浮気性の二股三股な“おっかけ”もいたわけです。例えば,赤尾は岩崎宏美のおっかけ集団にも属していました。そういう人たちは,もはやアイドルから離れられません。アイドリアンの誕生です。彼らが,80年代のアイドル全盛期を牽引することになります。先達として次の世代に作法を継承するわけではなく,自らが“一兵卒”として最前線に踏みとどまるツワモノたちです。
赤尾も,大学院を修了して,居を東京に移したのと同時に,社会人なのに,アイドル・イベントに出没することになりました。東京に住んでいるだけで「ああ聖子ちゃんと同じ空気を吸っているんだ」などと感じるのですから,アホもいいところです*3キモヲタへの進化でしょうか。ま,結婚を境に,そのレベルは低下し,HPもMPも所持金も激減した,ショボ・キャラになっていくわけですが(笑)

シングル曲に限れば,キャンディーズはどんなベスト盤でもOKです。

GOLDEN☆BEST/キャンディーズ

GOLDEN☆BEST/キャンディーズ

*1:マスコミ論を学んでいくと,70年代に渡辺プロダクションがふるっていた“権勢”にぶつかります。渡辺プロは“改革派”ではありますが,“守旧派”の面も大きかったと言えます。そんな渡辺プロの“商品”をサポートする大学生というのは,悪い冗談のように思えます。

*2:日本の音楽パッケージ消費は若者層と50代以降の中年層の二極が顕著になりつつあります。ここ数年,中高年層の比重が高まってきました。しかし,中年層の多くは“なつかし消費”に走り,たとえばキャンディーズのプレミアム・ボックスセットを買ったりします。赤尾自身もそういう消費もしているので,非難する気はありません。だけど,中年層が“今の楽曲”にあまり目を向けないのは気になります。例えば,同じく中年になった昔のアイドルたちの,“今の楽曲”をサポートせず,“昔の楽曲”ばかり要求する姿勢は,いかがなものかと思ったりします。自分たちが2007年という“今”を懸命に生きているのと同様に,アイドルやアーティストたちも“今”を生きているわけですから。“なつかしズム”に押し込めるのは相当な身勝手だと思います。さらに,“昔”を基準にして「今の音楽はなんちゃらかんちゃら」と難癖を付けるのは,奇々怪々です。自分たちが若者の時代に起こした“音楽消費”革命だけを絶対視して,“今の革命”を認めないのは,不幸なる再生産です。その意味では,過去の楽曲を吸収し,そのリスペクトのうえに,“今の音楽”を懸命に模索する若いアーティストのほうがよほど健全です。「昔の音楽なんかクソばかりだぜ」と吐き捨ててもいいわけですから(接触した上で吐き捨てるのが前提ですが)。それは古賀政男服部良一らが作った“昭和歌謡”の世界も同様です。

*3:最初に東京に出た時〈83年2月〉は,ある財団のゲストハウス住まいで,部屋にはベッドサイドのラジオしかありません。最初の休日にさっそく秋葉原に行き,ポータブル・テレビ,レコード+ラジカセを買い求めたのでした。松田聖子の「秘密の花園」を聴き,テレビを見るためです(笑)。松田聖子のサポーターではありませんが,“チェック”を怠ってはいけない“要注意”の存在でした。「赤いスイートピー」〈82年〉と並び,アイドルソングの一つの完成形が「秘密の花園」だと個人的には思っています〈作曲者の呉田軽穂松任谷由実も,この楽曲はカヴァーしきれませんし〉。80年代アイドルでは,それまでの趣味とは一転し,石川秀美・荻野目洋子ら健康的アイドルが好きになったから不思議です。おニャン子では高井麻巳子イチオシで,秋元康が油揚げをさらっていったのも頷けます。