第4回

講義資料(PDF):http://akaokoichi.jp/pdf/contents2007-04.pdf
asin:B0000D8RNC:昭和残侠伝 血染めの唐獅子]
asin:4480063153:思想としての全共闘世代(ちくま新書)]
http://d.hatena.ne.jp/redtail2733/20070501別記事でも書いたことだが,70年代後半までとくに三里塚=成田空港反対,郊外へのキャンパス移転への反対(同志社の場合は京田辺キャンパス)を中心に,学生自治会を中心とする「学生運動」の残滓はあった。2年生(1978年度)の際は,前後期ともキャンパス封鎖闘争で,期末試験が中止された(リポート提出で代替)。学外デモへの動員もあった。
大学教員になろうかという(orなるしかない)人は,必ずといってよいほど学生運動を経験している。50代以上の教員には,酒席などで話をふってみるとよい。きっと思い出を語ってくれるはず。1980年代になると一気に沈静化したので,40代教員は人によりけり。
学生運動を含む対抗文化運動は,基本的に近代を超えることを企図したポストモダン(脱近代)の思想だったはず。なのに,ヤクザ映画のような,前近代的なパッションの世界に親近感を抱いたわけだから,壮大な矛盾をそもそも抱え込んでいたことになる。学生を卒業すると,平然と“転向”して企業戦士になり,近代(経済成長)の担い手になっていく人が大多数だったから,当時の学生がポストモダンをどこまで血肉化していたかは疑問視する声が多い。結果的には,一種のファッション通過儀礼にすぎなかったの見方もできる。
その意味では,“全共闘の精神”をいまも持ち続け,日本政治の対抗軸形成に寄与した菅直人という政治家の生き様,あるいは猪瀬直樹(信州大学全共闘)という作家の生き様は,「学生運動」の“正”の遺産という気もする。一方で,赤軍派連合赤軍からオウム真理教に至る〈結社とテロリズム〉の系譜は“負”の遺産という気がする。